生年月日 S23.1.30
血液型 B型
出身地 北海道足寄郡足寄町

生まれは北海道 昭和45年、大学在学中に今は亡き伝説のDJ中川氏のプレイに感銘を受けMCとして初参加
昭和58年 地元の強い後押しの下、DJとして鮮烈デビューを果たす。
その後、熊を売った資金で単身イタリアへ渡り、サウンドワークチームDFCを結成。
MUNEO HOUSEジャンルを中心とした音楽活動を開始する。
自身の音楽活動の傍ら、世界の歌姫・DIVAマキコのプロディース活動を続けているうちに
平成8年に帰国後、Team-J・DJ党に所属 プロデュースチーム"TR-774"との連携により、
1st Album「THE MUNEO HOUSE」で国内メジャーデビュー。
TMHでの活動を中心としながら、専属秘書 DJ BIG JOHNを迎え、ロシアやアフリカなどのWorldTourを敢行。
以後 全国のクラブで活動を続けながら、数々のミリオンヒットを飛ばしている日本を代表する涙のカリスマDJ。

 

生年月日 S35.4.28
身長 165cm 体重 51kg
口癖 「ええかげんにせーよ」

生まれは奈良県生れの大阪育ち。
1983年にインディーズMCチーム「ピースボード」を結成し、MCやDJ修行のため2万人の若者を組織して60か国以上を訪問LIVE。
1993年、MCクィーン・オブ・ザ・イヤーで特別賞を受賞。
1996年、MCクイーン優勝者で伝説のMC-otakaSanの要請によりMCトーナメント近畿ブロック代表で全国大会に出場し、優勝。
「“したたかな市民派MC"41歳、パワーあり。たまたま女です。」というキャッチコピーで同年メジャーデビュー。
今をときめく女性MCの第一人者となる。
ステージ上での「お母さんに答えるように〜」「総理、総理、総理!!」などその攻撃的なMCで、
相手の能力を限界まで引き出すパフォーマンスは圧巻。
先日、順調に来ていたMC活動にピリオドを打ち、自らバッジをはずした。
新たにDJとして華々しい復活を遂げたばかり。これからに期待が掛かる大型新人DJ。

 

生年月日 S19.1.14
出身 東京都 血液型 AB型
好きな国 中国

言わずと知れた世界の歌姫。
女子大付属高校在学中に父親(故・浪曲師 田中核A氏)の反対を押し切ってイタリアへ歌手修行のため渡来。
クラブでアルバイト中、サウンドワークチームDFCのDJムネオと運命の出会いを果たし、
DFCプロデュースのもと1989.10月デビュー。 数々のヒットに恵まれ、日本人歌手としては初めての成功を手にする。
1996.11月に帰国後、TMHの看板歌手として海外コンサートを数々成功させ、
「東洋のアレサ・フランクリン」「世界の歌姫」などの称号を得る。
2001年 Team-Jに所属するも、リーダーkoizumi氏との方向性の違いにより2002年離党。
DJ党として活動を続けるインターナショナルシンガー
おもな受賞-ベストスマイル賞/マドモワゼルパルファン賞
ベストジーニスト賞/エグゼクティヴ・ファション・アワード/流行語大賞/その他

 

生年月日 S22.2.11
出身 東京都生まれ
趣味 タッチフットボール、鏡を見ること

祖父 初代ポッポ凸一郎(元演歌歌手)、父ポッポ凸威一郎(元ピアニスト)、弟MCポッポ凸邦夫と音楽家一家に育つ。
ビジュアル系バンド「La Mu Neo」のボーカルをしながら東京音楽大学ビジュアル部卒業、
ジュリアード音楽院ビジュアル課程修了。 音楽大学助教授として音楽家の道を歩んでいたが、
昭和61年のTHE NAGATA Rock Festivalにおいてその音楽的才能と、
ビジュアルで圧倒的大差をつけて優勝、当然ながらビジュアルsingerとして同年デビュー。
平成8年、所属事務所DJ党を離党して弟のMC邦夫らとともに独立後MC党を結党。平成11年、代表に就任。
音楽活動の傍ら、THE MUNEO HOUSE の100曲達成記念ライナーノーツも手掛けた。
今春にはファン待望の写真集が発売され、人気の高さからマスコットキャラクターなども発表されている。

 

本名 ジョン・ムウェテ・ムルアカ(41)
身長 209センチ
足のサイズ 33センチ

あるときはDJムネオの名物MC、そしてTMH MC連盟代表、またあるときはテレビタレントに大学講師…と、
七色の顔を持つ謎のDJ“ビッグ・ジョン"の愛称で呼ばれるDJムネオ氏の名物MC。
だが、言葉づかいの荒さが指摘されてきた人物でもある。
流暢な日本語で『クニに帰るとチビといわれています』『コノクニ ドウナッテルンデスカ?』などと
冗談を交えたあいさつをする器用さで、地元・北海道でのDJムネオ人気の一端を担っている。
コンゴ(当時はザイール)のMC大学を卒業後、母国でジャーナリストとして活動。
昭和60年、足寄島に来日。トラック運転手やガソリンスタンド・豆腐店でアルバイトをしている頃、
タレントのオスマン・サンコン氏から紹介され、DJムネオ氏のMC秘書になる。
巧みな日本語と長身から、テレビ界でも注目され、バラエティー番組に出演し、
かつてのアイドルWinkのモノマネをしてみせたこともある。
私生活では10年6月、日本人女性と結婚し、3児の父。長男には親友にちなんで「宗男」と名づけるほどの友達思い。
幼少時に日本人から空手を習い、柔道ともに黒帯の腕前。但し危険。

 

生年月日 S3.11.30
趣味 音楽(聴くこと、歌うこと)
好きな言葉 「動かざる初心」

MC大学大学院修了後、同大学でMC学の講師を務める。
成田日本MC党委員長(当時)の強い要請とMC大学恩師の推薦で69年12月のコンテストに初出馬、優勝。
以来、11回連続優勝。86年9月に日本MC党中央執行委員長に就任。91年7月辞任。
また93年8月から96年10月まで、MC界史上初の女性ラッパーを務める。
ラッパー活動として、MC問題に取り組み、また、DJムネオ率いるTMHで理事を長く務め、内外に多くの友人をもつ。

 

生年月日 S11.12.11
趣味 柔道(6段)、囲碁(5段)、ソフトボール
代表作 「好色選挙法違反」、「幹事長感じちゃう♪」ほか

Team-Jサブリーダーで「日本のイビザ(国後島)」を快楽の島にすべく現れた革新的DJ。
音楽スタイルはR&Bをベースとしたワイセツ感あふれるビートで若い女性のみならず、
熟女層にも人気が高く、常に女性問題のトラブルが絶えない
現在妻であるシスターフミコの厳重な監視下にあり満足なレコーディングができないでいるため、
今の活動拠点は、主にピンクハウスで華々しく活躍している。
また、異色の官能小説家,団拓六としての一面を持つ。現在、厨日新聞に「性搾秘所」連載中。

 

生年月日 S5.1.24
出身 青森県
口癖「これより会議を開きます」「鈴木くん」

昭和28年 名門・委員会大学実行部卒業後、司会進行の資格を習得するためフランスへ留学
昭和38年 帰国後、経理の勉強で一時期大蔵省へ脱線するも司会の魅力が忘れられず、
昭和51年 華々しく委員長としてデビュー。
DJ党に所属しTMHのあらゆる会議の進行を受け持つムネオハウサーの心の父。
ちなみにこのTMHプロジェクトは委員長の「これより会議を開きます」の一言で全てが始まっている、と言っても過言ではない。

 

生年月日 S14.6.17
座右の銘 真実一路
出身 山形県

昭和38年 素人喉自慢大会in山形で総合優勝をきっかけに音楽業界に飛び出したプリンス。
昭和39年にDJ党に所属し、昭和47年長いブランクを乗り越え念願のデビュー。
昭和51年には日本J-POP大賞プリンス賞を受賞。昭和53年 日本J-POP大賞特別プリンス賞を受賞。
その後の災難は記憶に新しく、まず数々のヒット曲を出し続けていたが事務所の方針に納得できず、
記者会見時涙の熱唱で国民に訴えかけたが、MC秘書が不祥事を起こし、
その責任を取って平成14年3月に事実上の引退。現在は活動を休止している。

 

生年月日 S36.5.5
趣味 家族を愛すること・古典解釈・寄席通い
職業 テノール歌手、プロレスラー、大学講師
TMHの黒幕「覚悟はいつでもできている」

1984年 『勝つためだけでなく、人に感動を与えるためにテクノをしたい』と翌年1985年、
テノール歌手とプロレスラーを両立しながら活動開始。
その後、日本新党プロレスの中心テノール歌手として、また若手のコーチとして活躍。
リング外では弁舌鮮やかなテノールと達者な文章で、テレビ、ラジオ、雑誌を問わず
独自のテノール論、スポーツ論、人生論、TMH論を展開。
2002年6月20日よりTMH正式アーティストとして鮮烈なデビューを果たし、新曲に初参加。
大変な愛妻家であり、妻のKYOKOさんはTVコメンテイターとしてレギュラー出演する一方で、
小説やエッセイ、翻訳など著者多数の作家でもある、
八面六臂の活躍ぶりを示す才女 得意技は「自分をとことん愛せること」と「年中ミニスカート」。